日本で資格は取るな

松本孝行さんがブログで
「60日で取れるとっておきのお得な資格 (洋泉社BIZ)」
の書評を出しておられる。
本を読んでいないので詳しくは知らないが、要約すると

「資格を取ることで直ちに職を得られるものと言うのは
少ないですが、その資格を取得するためにがんばったと
言うプロセスは後々の人生においても、非常に役立つ」

ということが主張されているらしい。

別にこの意見を否定するつもりはない。
しかし、日本人には
「資格取得は効率の悪い差別化である」
という視点が余りにも欠落しているように思う。
資格は誰でも公平に受験することが出来るため、
情報で優位を築けない人が差別化のために
仕方なく用いる手段だ。


人が頑張るのはあくまで、
良い仕事に就くとか、お金を稼ぐとか、良い業績をあげるとか、
何らかの目的のためであって
頑張ることが目標の人は単なるマゾだ。

同様にして「頑張って目標を達成するプロセス」
を習得することには一定の価値があるが、
「最小限の努力で目標を達成するプロセス」
を習得する方が良いに決まっている。

更に言えば、
日本で資格の勉強をしている人の多くは
単に思考停止していて、むしろ目標達成のプロセスを
きちんと考えることを拒否しているように思える。


効率の良いスキルの身につけ方の例を挙げてみよう。

私が金融機関で働いていた当時、
金融機関にはブルームバーグが作った
鬼のように使いにくい情報端末があった。
しかし情報量が圧倒的だったので使わざるを得ない。
ただ単に使いにくいだけなので、
慣れれば特段頭の良くない人でも使いこなせるようになるが、
特殊な部署に長くいる人でないとそうはならないから
ノウハウを持った人が非常に限られている。
結果、大したスキルでもないのに、
ブルームバーグ端末を使いこなせると
簡単に良い仕事が見つけられるそうだ。

そして、そうした技能を使う仕事は
資格が必須の「フィナンシャルなんちゃら」
よりもずっと生産性も高いだろう。

大事なのは、資格ではなく情報だ。

中学、高校、大学受験なども資格と同じだ。
若い時に色々なことを一生懸命学ぶのは極めて大切なことだが
別にわざわざ他の人と競争して
勝とうとする必要は全く無い。
競争率が2倍の入学試験に背水の陣で臨む人は
最初から半分負けているようなものだ。

何故、人々はこうした愚かな選択をするのか?

ラッセルは、人々が戦争を起こす理由の一つは
現在の人類が過去に生き残ってきた個体の
集まりであるという「生存者バイアス」ではないか
と主張した。

同じ事は一人の人生の中でも起こっている。

地元の中学校で一番だったからと言って
東大でも一番になる可能性は極めて低い。

高校野球で県代表になっても
プロ野球で成功できる可能性は極めて低い。

しかし過去の成功体験によって、
こうした可能性を過大評価して、
行動判断を誤ってしまうのだろう。


いかにすれば競争を回避して無駄な労力や
リスクを減らして本質的なことに集中できるのか?

そのためには、
・自分の情報のアドバンテージを認識すること
・自分の情報のアドバンテージを活用すること
・他人の努力していないところでこそ努力をすること
が大切だ。

大学入試なら、おそらく一般入試を避ける事が、
多くの人にとってメリットが大きい方法だろう。
逆に言えば、どうしても競争を避けられないなら
努力をし過ぎないことだ。

大学に入ったら、
一部の人間にしか手に入らない情報を探すべきだ。
それは、人気がないけれど独自の研究をしている
研究室に入り浸ることかも知れないし、
友達が考えた面白いビジネスに乗っかって
起業を手伝うことかも知れない。
少なくとも、TOEICの勉強をすることや、
資格の学校に通うことではない。

私が、認識と活用を別個に書いたのは、
単に認識することが想像以上に難しいからだ。
例えば、あなたが特殊な分野に強い
某大学の計算機学科に入ったとする。
学生数は学年で100人としよう。
その中には群を抜いたコンピュータオタクが10人いる。
一生懸命勉強しても11番が関の山だ。
そんななかで勉強するのはつらい。
資格の勉強でもしたら回りの仲間と違って
なんとなくかっこいい。
でも実は、その資格を勉強している人は
日本に10万人もいるのだ。

資格に走ったあなたは、同年齢の中で
「世界で11番目の男(女)」
になるチャンスを逃してしまう。
もしかすると、10人のオタクはコミュニケーション能力に
欠けていて、あなたは「世界の10人」と研究の会話をできる
唯一の存在になれたかもしれない。

そんなあなたが見返りに手に入れるものは、
「簿記2級」と「TOEIC850点」だ。