質問:
数学科の大学院生は毎日何をして過ごしてるの?
ただ単に机の前に座って考えているだけ?
— ヤーシャ=バーチェンココーガン, MIT 大学院生

回答:

たいていの場合、数学の大学院に行くっていうことは、
本や論文をたくさん読んで何がどうなってるのか理解することだ。
難しいのは、数学の本を読むっていうのは、
ミステリー小説を読むのとは違うし、
歴史の本を読んだり、ニューヨークタイムズの論説を読むのとも、
違うって言うことなんだ。

一番の問題は、君が数学の最前線にたどり着くまでの間、
概念を説明する言葉さえほとんど存在していないっていうことだ。
例えて言えば、掃除機を一度も見た事がない人に、掃除機の何たるかを
4文字以下の単語だけで説明しようとするようなものだ。

“It is a tool that does suck up dust to make
what you walk on in a home tidy.”(*1)
(それは、ちりを吸い上げて家の中の歩くところをきれいにする道具である。)

(*1)この文は4文字以下の単語のみからできている。

この説明はもちろん無いよりはましだろうけど、
掃除機について知りたいこと全てを説明してるわけじゃないよね。
本棚をきれにいにするのに掃除機を使えるのだろうか?
猫をきれいにしたい時には使える?
外をきれいにする時にも使えるんだろうか?とか。

論文や本を書く人はなんとか自分が理解した事を
厳しい制約の下で伝えようとするし、
それは何にもないよりはいいんだけど、
もし掃除機について何か成し遂げたいとしたら
もっといろんなことを知る必要があるでしょ?

せめてもの救いは、数学がこういうギャップを埋めるための
すごく強力な道具だっていうことだ。
つまり、何か概念を思いついた時に、
分かりやすい記号や記法を使い、論理的なルールに基づいて
それをいじってみることができる。
それは、掃除機を組み立てるための仕様書や図のような
ものだと思ってもらってもいい。

つまり、掃除機がどんなもの足り得るのか、そして、どんなもの足り得ないのか、
ってことが100%、何の曖昧さもなく分かるのがいいところだ。
だけど、なんでそんな部品が使われているのかとか、
なんでそんな風に組み立てられてるのか、
なんてことはほとんど分からないというのが問題だ。
手がかりは、暗号みたいな
「それは、ちりを吸い上げて家の中の歩くところをきれいにする道具である。」
という説明だけしかない。

君が大学院生だとしよう。指導教官は君にその分野の重要論文:
「ちりを吸う道具について」を読むように言う。
イントロの部分にさっきの説明文が書いてあって、
それ以外にもっともらしい事もたくさん書いてあるけど、
何が何だかはっきりしない。
論文の大部分は、掃除機の技術的な図とか仕様とかだ。
それで、いくつかの参考文献が載ってる。
「ちりを吸い上げるために空気の流れをどう使うか」
「たくさんのコイルを使ってファンを速く回す方法」
「ワイヤーに繋がった壁の穴から何を得られるのか」

で、何すればいいんだろ?
そのまま言えば、机の前に座って考えるだけ。
でも、それはそんな単純な事じゃないんだ。
第一、タイトルは何だかセックス絡みの隠語みたいじゃないか(笑)。
それから、イントロに大まかな内容が嬉しそうに書いてあるけど、
重要な細部については全くと言っていいほど曖昧なままだ。

テクニカルな図なんかを見ると、本当に混乱する。
でも、一つ一つそれを繋ぎ合わせてなんとかしなきゃいけない。
載ってる計算なんかも自分でやり直して、
ちゃんと理解できたかどうか確認したりする。
時々、自分でやった計算が合わなくて
間違って理解してたことに気付きもう一回その部分を読み直す。
たまに論文が間違ってることもあって、
その時は頭にきたりするわけだ。

そうこうしてうちに、何とかピンとひらめいて掃除機のなんたるかを理解できる。
もっと言えば、もう君は掃除機の専門家の一人と言っていい。
少なくとも、特定の種類の掃除機に関してはね。
どういう風に動くかについての詳細もかなりのところまで分かる。
それで得意な気分になるんだけど、まだそれは指導教官の足下にも及ばない。
彼らは、その掃除機についての研究だけじゃなくて、
他のあらゆる種類の掃除機、例えばルンバみたいなのも分かっちゃってる上に、
空調システムみたいな関連するけど全く違う分野のことまでやってる。

ひとまず、君は、少なくともこのトピックに関して
指導教官と互角に話ができることになって嬉しい訳だけど、
今度はそれに関する論文を書かなきゃいけないっていう不安が押し寄せてくる。

それで、掃除機について何か新しい事ができないか考え始める。
「掃除機を本棚の掃除に使うなんてどうだろう!超便利じゃん!」なんてね。
でもググってみると、それは誰かがもう10年も前とかにやっちゃってる
って分かる。

じゃあ次のアイデアを考えよう。
「掃除機で猫をキレイにするなんてどうだろう!これも超便利じゃん!」
でも、残念、もうちょっと調べてみたら、誰かが既にやってるけど、
あんまりいい結果は出てないみたいだ。
君は自信家だから、力技でなんか編み出して問題を解決しようとしてみる。
で何ヶ月か頑張ってみたら、残念、やっぱりダメだったなんてことになる。

しょうがない、もう少し延長コードについて勉強して、
屋外をキレイにするのに掃除機を使う、っていうのを君は考える。
先行研究を調べたらまだ誰もやってないみたいだ。
君は得意になって指導教官にそのアイデアを伝える。
でも指導教官は、封筒の裏にちょこちょこっと計算して、言う。
「君は何も分かっちゃいない。掃除機を屋外を掃除するのに使う
なんてのはうまく行く見込みがほとんどない。掃除機は外を掃除するには
小さすぎるし、別にずっと便利な道具が既にある。」

こんなことが何年も続いた後、君はついに、
「掃除機を反対にして吸い込み口を水の中に入れると泡が出る」
という事実を論文にする。

君の論文審査委員は、それが何の役に立つのか分からないけど、
なんか斬新だし泡もキレイだから将来何かの役に立つかも知れない、
もしかするとね、なんて思う。

でも君はラッキーだった。
100年後、君のアイデアは他のいろんなアイデアと合わせて
水槽のエアポンプの開発のもとになり、
今をときめく人口的な金魚飼育の研究の重要な道具になった。
やったね!”
— 数学科の大学院に進むとはどういうことか? - 統計学+ε: 米国留学・研究生活 (via rurinacci)
出典: w