量の読書で充実している人と、質の読書で充実している人と、町に出て充実している人が、それぞれの充実を主張するために互いを否定しあう必要はない。隣人の承認欲求がちょっと顔を覗かせたくらいでフルボッコに叩き潰してやらずともよかろう。彼我の意義は並び立たぬものでもない。それでも叩く人がいるのは、主張の内容いかんに関わらず「叩きのめす」こと自体がひとつの娯楽だからだろう。誰かを叩くことで全能感なり自己肯定感なりを得るというのもまた、有意義な人にとっては有意義な人生の愉しみ方だろう。その人なりの人生の妙味があるに違いない。”
— 「ぼくは年間500冊」「私は質の50冊」「オレは本より実体験」 (via kyohei1989)
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