ロング・アイランドのとある町に、公立小中学校がある。裕福な家庭の子女は私立の学校に行くので、公立校に通うのは貧乏な家庭の子供ばかり。学校内でドラッグを売ったり、車を盗んだりする不良もいるほど。そんな状態のままでは予算もとれないので、学校では機材を購入して校内テレビ授業を実験したり、地域社会に貢献する文化プロジェクトを催したり、いろいろと手を打っている。
 そんな文化プロジェクトのひとつとして、町のユダヤ教寺院でワグナーの「ラインの黄金」を上演するという実にバカな計画が持ち上がり、現在リハーサルの真っ最中。指導にあたるのはエドワード・バスト。高名な作曲家・指揮者を父に持つが、本人は無名の貧乏作曲家で、こういう半端仕事を引き受けざるを得ない経済状態にある。
 このリハーサルが爆笑もので、トランペッターの少年は軍楽ラッパしか吹けないし、なぜか女子生徒のヴォータン役はバックミラーをとりつけたヘルメットをかぶって登場するし、アルベリヒ役の少年はちっともあらわれない。
「アルベリヒ役はどこだ?」バストはいらいらしながら、少年を探しに行く。
 すると、髪はぼさぼさで、汚れたセーターを着た少年が、学校の事務室の椅子に坐り、勝手に電話をかけているではないか。何やらひそひそ話しながら、メモをとっている。
 バストは少年をリハーサルに連れ戻すわけだが、この出会いがバストの運命をめちゃくちゃにしてしまうことになる。

 少年の名はJR。11歳の小学6年生。無二の親友と共同で、郵便局に秘密の私書箱を持っている。親に見られるとまずいものを送ってもらうためだ。
 親友のほうはもっぱら、銃器の資料やエッチな雑誌を手に入れているのだが、JRはちょっと違っていた。彼は金儲けに関心があり、財テク雑誌や投資情報を入手していたのだ。こづかいを工面して、ほとんど無価値な債券を買ったりもしていた。

 そんなある日、JRたち6年J組の生徒は社会科の課外授業でニューヨークに行き、みんなで出しあった金でダイアモンド・ケーブル社の株券をひと株購入する。アメリカ経済の仕組みを知るという主旨の授業だが、担当教師のエイミー・ジュベールが実は巨大コングロマリット企業タイフォン・インターナショナルの社長令嬢というコネのおかげで、証券会社社長やタイフォン社広報部員と面会し、詳しく話をしてもらえる。
 このときもJRは株式取引について細かく質問し、株式ハンドブック等の資料を集めまくる。そして、町に戻ったあと、これらの資料に読みふけり、郵便局に届いた投資情報を検討したあげく、こんな計画をたてる。
 とある陸軍部隊がピクニック用のフォークを購入しようとしている。一方、とある海軍部隊では、最近プラスチック製のフォークを導入したため、木製フォークが大量に余り、軍需余剰品として売りに出している。この海軍の木製フォークを安く買いつけ、陸軍に売って、儲けようというわけだ。
 もちろん、木製フォークを買いつけるには資金が必要だ。そこでJRはネバダ州の銀行に「6年J組」名義で勝手に口座を開き、融資してもらう。買いつけた木製フォークは、学校が各種機材納入用に借りている倉庫に、これまた勝手に一時保管する(その結果、学校の理事会で「なぜ木製フォークが9000グロスも納入されたんだ?」と問題になる)。ビジネスには電話が必要だが、学校の電話を使うと教師がうるさいので、電話会社に勝手に手紙を書いて、校内に公衆電話を設置させる。そして、小学6年生が商談に行くわけにはいかないので、エドワード・バストを勝手に代理人に指名し、勝手に名刺までつくってしまう。
 とある事情で「ラインの黄金」音楽指導の仕事をクビになり、自宅の仕事場を留守中に不良少年に荒らされたりして、ますます貧窮してしまったバストは、しかたなくJRの代理人を演ずるはめに。

 木製フォークの売買で儲けたJRは、つづいてイーグル紡績の買収に乗り出す。地方の老舗紡績会社だが、化学繊維への転換がうまくいかず、社債を発行してなんとか経営をささえている。倒産の噂が絶えないため、その社債も額面1ドルが数セントで取り引きされる紙くず同然の代物(JRが最初買った債券のひとつ)。
 JRはイーグル紡績の社債を大量に買い占め、株式に交換させて、同社を事実上乗っ取ってしまう。もちろん小学6年生が企業に乗り込むわけにはいかないから、出かけていったのは「代理人」のエドワード・バスト。

 地方紙の一面を飾った「代理人バスト氏」の記事を見ながら、バストとJRが交わす会話をご紹介しよう。たんなる悪ガキであるがゆえに究極のキャピタリストとして行動するJRの姿が活写されており、この作品のおもしろさがよくわかるはずだ。(ただし、翻訳の正確さは保証しませんよ)

 JRはイーグル紡績が所有する土地や建物をリースバック契約で売却し、賃金をカットし、さらに従業員の年金を買い占め資金にあてて、ワンダー醸造を乗っ取る。さらに、ペーパーマッチをつくっているXL石版印刷、老人ホーム、玩具メーカーのレイXなどの株を買い占め、乗っ取りをつづけていく。

 バストはJRの「代理人」だから、各社の経営者や弁護士たちと会わなければならない。ひょんなことから新たに仕事場として利用できることになったニューヨーク96丁目の安アパートには、毎日山のようにビジネス関連の郵便物が届き、室内は足の踏み場もない(バスタブや冷蔵庫やオーブンのなかまで封筒と書類が押し込まれている)。さらにJRから「読んでおけ」と金融と株式取引に関する膨大な資料も送られてくる(「こんなの読めるか」と反発すると、即座に速読術の教則本が届く)。電話連絡は近所のカフェテリアの電話応対サービスに頼んであったが、これまた毎日何十本も電話がかかってくるため、JRはこのアパートに勝手に電話を引いてしまう(しかも最新鋭のテレビ電話)。当然、ビジネスの電話は直接バストのもとにかかってくるし、JRからも頻繁に電話で指令が送られてくるわけだ。
 なんとか念願のカンタータを完成させ、作曲家として身を立てて、JRから逃げ出したいバストだったが、楽譜を書くのもままならない状態。

 この頃になると、JRの買収活動はタイフォン社でも問題となっていた。
 つぶれそうな中小企業を手当たり次第に狙うだけなら、「バカな素人」とあざ笑われるだけだが、問題はJRがエース開発の株を買い占めはじめたことにあった。
 エース開発は鉱物資源採掘をめざすというふれこみのベンチャー企業。パンフレットには広大な森の写真があり、「ここに無尽蔵の資源が埋まっています!」とうたって、広く投資を求めている。だが、その実体はほとんど詐欺で、採掘をする気などはなからなく、金を集めることだけが目的。こんなインチキ企業を乗っ取っても、鉱脈のかけらもない無価値な土地の権利しか手に入らないはずだった。
 ところが、そこはまさに、現在タイフォン社が極秘に計画を進めているパイプライン建設予定地だったのである。
「やつらはこれが目的で株を買い占めてるに違いない。どこから極秘プロジェクトの情報を得たんだ? やつらはいったい何者だ?」
 というわけで、タイフォン社は代理人エドワード・バスト氏と謎の黒幕に接触を試みるのだが、調べた電話番号はカフェテリアの電話応対サービスのものだったので、全然連絡がつかない。もうひとつ入手した番号はロング・アイランドの公衆電話のものであることが判明し、謎は深まるばかり。タイフォン社の弁護士は「やつらの組織は実にとらえどころがありません」と嘆息する(そりゃそうだ、実体がないんだから)。

 一方、JRのほうは買収した数々の企業の連携を強めていく。まず、エース開発が権利を持つ森林を伐採し、XL石版印刷が製造するペーパーマッチの原料にする。ペーパーマッチには他の系列企業の広告を印刷する。木材から分離したセルロースは化学繊維の原料でもあり、イーグル紡績に供給される。不要になったイーグル紡績の旧式織機はアメリカ政府の支援プログラムを通じて南米諸国に売り払う。木材をより有効に活用するため、トライアングル製紙を買収し、本社にトイレットペーパーの形をした巨大広告塔をつくらせる。紙をより有効に活用するため、出版社ダンカン&カンパニーを買収し、ペーパーバックの娯楽小説や教科書の本文中に系列会社の広告を挿入する。
 JRはニューヨークのホテルのスイートを借り切り、本部を設置する。雇われてそこに集まってきたのは、すべてJRにゆかりのある人間ばかり。広報担当のデイヴィドフは元タイフォン社の広報部員で、課外授業で6年J組を案内した男。ライターとして雇われたディセファリスはJRの通う学校の元心理カウンセラー。トランジスター技術を生かしてハイテク企業に生まれ変わったレイX社で音を凍らせる(!)フリジコムや人間電送機(!)テレトラベルなどを開発するマッド・サイエンティスト、ヴォーゲル博士はJRの通う学校の元理科教師。もちろん彼らは「ボス」がかつて会ったことのある小汚い小学生だとはゆめにも思っていない。
 こうしてできあがったJRファミリーカンパニー社(JR Corp Family of Companies)は、やがてJR自身にもコントロールできない巨大コングロマリットへと成長し、タイフォン社も巻き込んで、大混乱を引き起こしていくのだった。

 ウィリアム・ギャディスは1922年生まれのアメリカの小説家で、1955年にデビューしてから1998年に亡くなるまでの43年間に長編4冊しか発表していないという、とんでもない人。

The Recognition(1955)

JR(1975)

Carpenter's Gothic(1985)
*邦訳=『カーペンターズ・ゴシック』(木原善彦訳、本の友社)

A Frolic of His Own(1994)

 ——Money? のひと言で始まる本書のテーマはずばり「金」。JRという高度資本主義社会のハックルベリー・フィンを主人公にした金融ブラックコメディであり、ものすごくおもしろい。

 ただし、同時にものすごく読みにくい小説でもある。
 まず、長い。Penguin 20th Century Classic版ペーパーバックで716ページ(邦訳するとたぶん2000枚以上)、主要登場人物は100人以上いる。前述のあらすじはJRとバストを中心にした抜粋版で、実際には多数のサブプロットがからみ合った複雑なストーリー展開である。
 こんな複雑で長い物語なのに、本書には章立てがいっさいない。それどころか、行開けすらない。始まったら最後、区切りなしにずーっとつづくわけ。
 さらに、抜粋ページを見てもらえればおわかりかと思うが、書いてあるのは大部分が会話のみ。ひどいときには、5人くらいがてんでばらばらにしゃべりまくる会話だけが十数ページつづいたりする。誰がしゃべっているかはおろか、そこがどこなのかもよく考えないとわからない(あるいは、よく考えてもわからないので、Gaddis Annotations Projectでカンニングするはめになる)。何が起きたかも直接的には書いてないので、会話から推測するしかない。

「普通に書いてもめちゃめちゃおもしろくなるはずなのに、なぜこんな書き方をするのか?」
 と、三流娯楽作家であるわたしは首をひねり、実にもったいないと思ったけれど、まあ、しかたないか、アメリカン・ポストモダン・フィクションだもんな。
 ……というのは半分冗談で、このスタイルはテーマに即したものだから、いいんじゃないかと思う。また、こういう書き方だからこそ内容が圧縮され、この程度の分量ですんでいるのであって、普通に書いたら5000枚くらい必要だろう。あと、いまのままでも充分おもしろいし(おもしろくなかったら読みませんよ)。

 とにかく、「11歳の悪ガキがビッグビジネスを牛耳る」というある意味荒唐無稽な話をここまで徹底的かつ詳細に描ききった力業に脱帽。処女作が全然売れず評判にもならなかったにもかかわらず、その後20年(しかも33歳から53歳までの20年間だよ)を経て、こんな小説を書くという強靱な精神にも心底敬服。本物の小説家ってのは、すごいもんです。

 インターネットとケータイがある現代なら、わざわざ小学校に公衆電話をつくらせる必要はないだろう。ちなみに、2001年9月、インターネットを使った不正株取引で80万ドルを儲け、米証券取引委員会から史上最年少で告発された15歳の少年の名はJL——ジョナサン・リーベッド(Jonathan Lebed)という。

 Gaddis Annotations ProjectとWilliam Gaddis Pageの人名辞典に感謝。これがなかったら、最後まで読み通せなかっただろう。それでも半分くらいしか理解できてないけど。

2002年8月7日

『JR』をめぐる雑談いくつか。

『JR』は映画化するといいと思うんだけど、どこかにそういう勇気ある映画監督はいないものか。というのは、この作品にはいちばんおもしろいはずの場面が書いてない(もっと正確に言うと、場面というものがない)ので、そういう場面をきちんと映像にしたら、すごくおもしろくなるはず。テレビドラマでもいいな。関西テレビは、JR役にジャニーズJr.の誰かを仕込んで、「ビッグマネー2」を製作しませんか?

『JR』にはこんな謝辞がついている。

The author wishes to acknowledge assistance given him toward the completion of this work by the Rockfeller Foundation and the National Endowment for the Arts.

 本書を完成するにあたって支援してくれたロックフェラー財団と国立芸術補助金に著者は感謝の意を表したい。

 これはたぶんロックフェラー財団と国立芸術補助金から金をもらったということだと思うが、それでこんな小説を書くというのはすごい。だって、アメリカ的なるものを徹底的に嘲笑しているうえ、劇作家ではなく小説家を対象としていながらなぜか小説ではなく戯曲を書かないと金を出さないバカな財団が出てきたりするんだよ。

 Gaddis Annotations ProjectのGaddis in Fictionには、ギャディスをモデルとした登場人物が出てくる小説やギャディスから影響を受けた小説がリストアップされているのだが、なかにジョン・スラデックのRoderick(1980)が入っていて、こんなことが書いてある。

A science-fiction novel that names JR and imitates its style of dialogue.

『JR』への言及があり、会話のスタイルを真似ているSF長編。

 本当にそうかどうかはRoderickを読んでいないので知らないが、これを発見して、なぜ『JR』を楽しく読めたのかよくわかったわたしである。理由=スラデックの小説みたいだから。

 芸術命の作曲家でありながら、JRに引きずられて企業家を演ずるはめになり、どんどん悲惨な目にあっていくエドワード・バスト。軽薄才子という古くさい形容がぴったりで、とにかくぺらぺらしゃべりまくるPRマンのデイヴ・デイヴィドフ。音を凍らせたり、人間を電送したりといったイカレた技術開発にいそしむマッド・サイエンティストのヴォーゲル博士。これらはスラデックの小説の登場人物であっても、全然おかしくない。あとはロボットが出てくれば完璧である。
 ストーリーそのものもスラデックに似ている。実際、わたし流の要約は、まるでスラデックの小説のあらすじのようだ。そのほかにも、ヴォーゲル博士が発明した人間電送機の被験者になったディセファリスがどこかに消えてしまったり、アフリカのガンジアという国の独立革命軍がレイX社の不要在庫であるおもちゃの兵器を本物と勘違いして導入したためあっけなく全滅してしまう、といったスラデック風エピソードが数多くもりこまれている(らしいが、直接的には書かれていない)。

 これはスラデックがギャディスの影響を受けたからではない。というのは、スラデックは『JR』が出版される以前、60年代にすでにこういう小説を書いていたからだ(The Reproductive System [aka Mechasm], 1968)。たぶんスラデックとギャディスはよく似た感覚の持ち主だったんでしょう。もしかしたら、ギャディスがスラデックの影響を受けたのかもしれないよ。

 おまけ。JR Corp Family of Companiesのロゴ。邦訳書はこういう表紙になるといいなあ。(邦訳されるかどうかは知りませんけど)